あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。マタイ14:1
姉妹方が百合の花を準備して来られました。ご遺族が朝の礼拝から出席され、また午後の卯辰山での墓前礼拝にもいらっしゃり、共に礼拝できて感謝でした。
私は、去年までの召天者記念礼拝とは少し違った思いで過ごしていました。ほとんどの場合、加齢や病などで色々なことが次第に出来なくなっていって、枯れるように召されるものだと思っていたのですが、その間、何もしていないのではなく、「色々なことが出来なくなっていく不安と戦う」という最後の試練があったのではないかと。
そう考えた背景には、自分の両親が弱ってきていることがあります。先週、訪問した帰り際に、父が「子供たちや孫たちにしてあげられることが少なくなってきたことをお赦しください。」と祈りました。私は驚き悲しみ、「アーメン」とは言いませんでした。「お父さん。『お赦しください』なんて言わなくていいのに・・・。」とうつむく私を見て、母は黙って私の肩をさすっていました。帰りの車の中で、一人で号泣しました。召天者記念礼拝に集われたご遺族の方々も、切ない涙の夜を過ごされてきたのかもしれません。また、将来にも不安があるかもしれません。それでも主は必ず私たちを守り支えてくださいます。このブログを読まれているあなたにも、希望と平安がありますように。